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映画史 その二
トーキーの誕生と音楽映画
トーキーとは「TALK」と「MOVIE」をあわせた造語だといわれる。その名のとおりセリフと音響を融合させた映画をさす。1927年、俳優の声と歌をシンクロさせた「ジャズシンガー」のヒットによりトーキーが認知され、以後ハリウッド映画はサイレントからトーキーに移行していく。セリフや音楽そして効果音のおかげで映画はより刺激的で感動的なものになり、豪華な歌と踊りが売りのミュージカル映画や、派手なアクションに効果音を加えたギャング映画などの新たな生まれた。
トーキーの機能や魅力を最大限に、しかも手っ取り早く発揮できるのがミュージカルだと知ったハリウッドの映画会社は、歌って踊れるスター探しに奔走した。ブロードウェイ・ミュージカルをもとに、豪華なステージショーと映画だけが可能な夢の世界を武器にして隆盛を誇った。その中の最大のスターがフレッド・アステアやジーン・ケリーだ。
戦争と映画−第2次大戦下で
ファシズムや軍国主義の台頭は映画界にも大きな影響を与えた。日本においては、政府と軍の指揮下に映画界全体が置かれ、戦争協力映画が盛んにつくられた。多くの映画人はやむを得ず、もしくは積極的にこの方針に従い、兵士の苦労や献身をえがき愛国心を鼓舞した。ドイツでも厳しい国家統制かにおかれ、多くの映画人がナチスの宣伝映画をつくっている。中でもレニ・リーフェンシュタールはヒトラーのお気に入りとなり、ナチス党大会やベルリン・オリンピックの記録映画を撮った。これらはイデオロギーに対する賛否はともかく、壮大な秩序美を誇示する芸術作品として評価される。
対する連合国側のアメリカでは反ナチス、反軍国主義を訴える多く映画が登場する。チャップリンは1940年の「独裁者」で、自らユダヤ人とヒトラーの二役を演じ、強烈に批判の声をあげた。この映画は軍国主義を批判し、民主主義を賛美するような政治性を前面に押し出した映画であるとともに、ユダヤ人差別を暗に皮肉るとなど、社会風刺映画の先鞭になった映画でもある。その後も戦中はナチスを喜劇で茶化すような風刺映画が多く登場した。いずれにせよ、戦争中はどこの国でも敵を倒し見方の戦意を昂揚させるような映画が登場し、国の宣伝の道具として使われてきた。
戦火の中から−第2次大戦後
直接、戦火の影響をうけなかったアメリカとは違い、ヨーロッパの映画界は致命的な打撃を受けていたが、その中から世界の映画史を変える作品群が出てくる。戦後間もないイタリアでは戦災のおかげで撮影所もなく、スタッフも資金も不足していた。そうした状況を逆手にとって生まれたのがネオ・レアレスモ(ニューリアリズム)といわれる現象である。それはまず社会のなまなましい現実を題材とし、撮影はほぼ外でのロケーションが中心で、素人を役者として使い、現実をありのままに切り取るというような特徴をもっていた。それまではハリウッドに代表されるように、豪華なつくりで、プロの役者が特殊な芸を見せるというのが映画だった。庶民の生活を庶民が演じるというイタリアのネオ・レアレスモは世界中に驚きを与え、大きな芸術活動となり、多くの映画人がそれを模倣した。イタリアでは戦後間もないうちに、ロッセリーニの「無防備都市」、デ・シーカの「自転車泥棒」、ヴィスコンティの「揺れる大地」など次々と傑作が誕生した。
以後、60年前後フランスのヌーヴェルヴァーグや60年末ドイツのニュージャーマンシネマなどリアリティーを追及する流れが世界を席巻し、アメリカにまで波及した。ヌーヴェルヴァーグは新しい世代、新しい感覚をうったえ世界中の若者が支持した、そこからフランソワ・トリュフォーやジャン・リュック・ゴダールなど映画史の巨人があらわれ、今の映画に影響を与えつづけている。
映画史 その一
クラシック映画の巨匠たち

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